久しぶりにブログを書きます。
何もさぼっていたわけではないのですよ。
いろいろとすることがありましてね。
本日は【活動理念】や【ビジョン】【ミッション】をこのホームページに付け加えました。
特にその中の【活動理念】において「主体性」という言葉を用いましたから、私なりに「主体性」について思う所を述べたいと思います。
私は若い頃から「自由」というものにすごく憧れていたと思うんですが、それは別に政治的自由などといったレベルのことではなく、人間関係や社会的立場上の自由であったと思います。
やはりいろいろと人というものは口出しをしたいもんなんですね。
知恵や知識を披露したい願望がある。
親切ではあるかもしれませんが、自己主張の弱い私にはそれが自らの行動を縛る鎖のように感じられた時があったんです。
とくに若い間は自分自身が未熟ですからね。
アドバイスはやはりありがたく受けたいですけれどね、そのアドバイスが私にとって邪魔である場合も結構あったように思います。
私自身がちょっと変人気質があったからこそ、なおさら納得できると思えたアドバイスが少なかったのかもしれません。
自分自身がある程度知識もつけ、経験もつけ、やっといろんな方のアドバイスをありがたく聞けるようにもなり、その上でどう判断しどう行動するかということができるようになってきましたが、若い頃はとても苦労したのを覚えています。
そのときから考えて、やっと納得できたのが、「主体性」という考え方だったのです。
自分の「主体性」が犠牲にならないなら、いくらでも有難くアドバイスは聴けるし、その方に感謝もできる。
でもこちらの「主体性」を奪われるような感じだとこちらが苦しくなる。
相手が別にこちらの「主体性」を奪うつもりでなくても、こちらが勝手に「主体性」を奪われているように感じることもあったように思うんです。
それは家庭や学校時代での経験がそのように思ってしまうきっかけになってるんだと思います。
それで私の中で「主体性」こそ「自由」とか「民主主義」にとって、とても大事なものではなかと考えるようになってきました。
「主体性」って、「自由」とか「責任」を感じるうえでとても大事だと思いませんか?
そして「主体性」のある生き方や働き方ができるとき、人ってイキイキできるものではないかと思うんですね。
それで「幸せ感」ともとても深い関係があると思いました。
ええい!この「主体性」を【活動理念】にしてしまえ!
私が最も大事にしたいことのひとつであること間違いないこの「主体性」いうワード。
「主体性」をキーワードに人々のより良い人生に貢献できるかもしれない。
自分の花を咲かせる会の活動を前に進めることができるかもしれない。
「主体性」というキーワードでどれぐらい人が幸せになるか?
どれぐらい人が成果を出せるか?
そんな実験も楽しいだろうと思ったのですよ。
「主体性」があれば生きるのが楽しくなりそうですよね。
あなたも生きるうえでの価値観のひとつにこの「主体性」をくわえてみてはいかがでしょうか?
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