いきいきセカンドライフ勉強会。
最初は「生き甲斐・逝き甲斐プログラム」と呼んでいました。
2019年11月ころだったか、千葉県での研修に向かう新幹線に、大急ぎで切符を購入し、飛び乗りました。3名掛けの通路席。真ん中席が当然空席だったからそこを予約した。
にもかかわらず、真ん中席に人が座っている。間違えたのか?辺りの座席もすいているにもかかわらず、席を変わるのもしゃくなので、そのまま座ることにした。
どうやら別の指定券をお持ちなのだが、あえてお仲間の隣に来て座っているように感じた。
話ことばは山口か広島か岡山なのか?山口弁にも聞こえたが後に広島弁だと分かったのですが、今時、珍しく昼食の弁当を食べるのに、ご丁寧に、「私たち弁当を食べますが、すみません」と断ってお食事が始まった。
それが言葉を発した最初であった。
私は、友人からの連絡や、山手線が遅れているというニュースで千葉に時間通りに行く方法を検索したり、あわただしくスマホいじりをして過ごしていた。
小田原を過ぎたあたりで、隣の紳士と「仕事ですか~」だっただろうか、会話が始まった。
「やりがいには、どんなものがあるか?」との問いかけられた。
「生き甲斐、遊び甲斐、働き甲斐、、、、」と答えながら行き詰ったときに、「逝き甲斐ってのがあると思うんだ。」と話をしてくださった。
後見人の話や、公証人役場だの遺言、延命だのということが語られ、どうやら相続等の専門家のようだった。
多くの人は、延命のことや葬儀のこと、残した資産のことなどを先送りにしてきて、何もせずあの世へ旅立たれる方が多くて、遺族が大変なんだという話とともに、天国に逝きながら大好きな家族たちがバタバタ困っている姿を見ながら旅立つのはなんか心苦しいと思わないか?とおっしゃった。
確かにそういうこともキチンとせずに家族が困る表情は見たくないなあと思いました。
その時にぜひ、今のお仕事に加え「逝き甲斐」のこともしてほしい、絶対いいですよ。と言われました。
人生100年時代がやってきて、老人人口が増えていくが、介護もある。だけど、元気な老人が増えて、介護予算より健康予算がたくさんつく時代になっていった方が、いいんだよとおっしゃられた。
今、私の両親は元気だが、もしも介護が必要になってしまったら、たちまち私は働くことが難しくなり、両立していかねばならなくなる。家庭のことが入ってきたら3立だ。そして自分の健康のことも考えたら、ぞっとする。
そんな会話を交わしたときに、その紳士に、ぜひ、「生き甲斐と逝き甲斐」のことを作ってください。
と言われ、絶対これから必要なんだと強くおっしゃっられたので、「わかりました。できたら知らせます」とお返事しました。
品川に電車が到着する直前に、名刺をもらいましたので、私も名刺をお渡しして新幹線を後にしました。
2日後に帰宅してすぐさま、弟にこの会話をして、作れるかどうかを相談し、「生き甲斐・逝き甲斐プログラム」を弟が書き下ろし、私が監修担当をして、1週間後にいただいた名刺にコピーをお送りしたのでした。
今思うと、この出会いが、今の協会設立への始まりだったような気がします。
次回は、なぜ、1週間で送ることができたかを記します。
万年美恵
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